今年の一冊はこれ、「日々是布哇(ひびこれハワイ) アロハ・スピリットを伝える言葉」。

テトラスクロール・オープン前、営業許可もおり、いつオープンするかは気持ちの問題だったとき、「よし明日から開けよう。」と決意させてくれたのが、この本だった(テトラスクロールのオープンは11月15日)。今、自分がどこにいるのか、どこに、どんな気持ちで向かえばいいのか、そんなことを教えてくれる(示唆してくれる)。
「日々是布哇(ひびこれハワイ)」は原題を「A Hawai'i Book of Days」といい、強いて日本語にすると「日々のハワイの書」となる。ネイティブ・アメリカンの人たちが読むインターネットのオンライン・マガジンに、一週間分ずつ毎週掲載されるスタイルで、かれこれ十数年間繰り返して配信され続けた古典的な作品である。一冊の本にまとめられるのはこれが最初だが、ネットの世界で公開されていることもあって、ハワイというのが「心の状態」であることを日々思い出させてくれるここに集められたえりすぐりの言葉たちは、すでに世界中に多くの愛読者を持っている。
「心の状態としてのハワイ」北山耕平 より引用
気がついたときにいつでもページを開けるように、いつでも手元に置いておきたい、そんな一冊(北山さんのブログ「Native Heart」にも、直近の一週間分がアップされている)。
本ではないけれど、北山さんのブログ「Native Heart」に教えてもらった、易で立てた毎週の運気が掲載された「Another Way」も、同様に自分の居場所を知るためにずいぶんとお世話になった。
南房総・和田浦の古民家を借りた。
和田浦最高齢の漁師のおじいちゃんが、シベリア抑留から戻った昭和22年にはもう建っていた、というから築60年以上にはなるのだろう。
今、自らの手作業と、友人たちの協力で、この古民家をブック・カフェ「テトラスクロール」に変身させる作業をしている。
開店まであと少し、11月中旬にはなんとかなる予定・・・。
昨日読んだ「模倣される日本」から、印象的な一節。
社会の美しさは、その社会を構成している人の美しさで決定される。美は多元的で多様で、その街がどれだけ文化財を抱えているかや、美術館に収蔵している文化財の評価額の総計で、街の美しさが決まるわけではない。浜野保樹「模倣される日本
」
今日は朝から畑仕事。
雨が降り出すまでにどれだけの仕事をこなせるかが今日の課題。
幸い、昼過ぎまで天気がもってくれたので、予定の仕事は無事完了。
午後、晴耕雨読とばかりに、浜野安宏「新質素革命」を読む。
私が主張したいのはボパティズム(貧乏主義)ではない。単純に清貧の美学や倹約の勧めなどというレベルの低いことを書こうとしているのではない。
地球に生き続けていくためのハイセンスで、あらゆるテクノロジーを使いこなした、もっと別のライフスタイルの探求と生活デザインを生真面目に模索し、積極的に試行錯誤をしながら、頭で描き、手で書き、足で確かめているのである。
かなり同感の一冊。こんな一節もいい。
何かに支配されないと生きていけないような人間に居直るのは、もうやめよう。
じゃあどうしたらいいかって?
生真面目に自分を見つめて、毎日の生活を、地平から離れずに楽しんで生きればいい。
「平常心是道也(へいじょうしんこれみちなり)」
たまに澄み切った自然の川を見続けたほうがいい。川は上から下にしか流れない。
「如水」
身体に染み込む言葉だ。水の如く、ただ在れ。川とともにただ在れ。
サーフィンのグル、ジェリー・ロペスも同じようなことを言っている。
「Just Flow With It」
それの、つまり最高の波の命ずるままにただ浮かんでいろ。
波の何たるかを体得している人間、どうしたら波とともに自然に漂えるかがわかった人間だから言える言葉なのである。
いつでも自分でいられて、新しい変化にごく自然に応じられるようになること。ただ自分で在りきることが、変化を呼び込み、新しい状況を巻き起こすのである。
質素革命の基本は自然に素直に、喜びをもって、ただ在ることなのである。
偶然のロペスつながりだが、真実はまさにそこにあるのだろう。難しいことだけど・・。
合気道で内房の町に出ると、大型新古書店(ブック・オフ)に寄ることが多い。
105円均一の棚には、105円以上の価値を持った書籍も少なくない。
105円で買ってきた本を紹介する「105円の本棚」のカテゴリを新しく設けてみた。
先日買った、五木寛之「養生の実技」もそんな一冊。
養生と治療はどこがちがうのか。
人間観というか、思想がちがうのだ。治療という考えかたの背後には人間は本来、調和のとれた理想的な身体をもって生まれてきた、という感覚がある。
機械でいえば、燃料さえ補給してやれば、万事、快調に動くのが当たり前と考えているのだ。そこに異常が生じる。故障をなおすように治療をおこなう。修理が終われば機械はもとどおりに快調に動作する。
私の人間観はそうではない。人間は生まれた日からこわれていく。老いるとは、そういうことだ。しかも、不自然で、非合理な部分も数かぎりなくある。神秘的といえるほどすばらしい働きもそなえながら、同時になんとも情けない幼稚な部分もある。
そこを苦心して、少しでも良いコンディションをたもち、故障をおこさないように工夫するのが、養生ということだろう。
「つよいカラダでなく」のサブタイトルにあるように、東洋的なカラダの知恵を柱に、実践的な項目を中心に「養生法」が語られている。最初、著者のイメージとは少しかけ離れているようにも思えたが、近年「気の発見」などの著書もあるので納得できる。
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養生の実技 五木 寛之 角川oneテーマ21
昨日読んだ「
「身体知-身体が教えてくれること」」から、気になる箇所を引用する。
内田 武道の場合だと、ほんとうにたいせつなのは、筋力とか骨の強さではなくて、むしろ感度なんです。皮膚の感度じゃなくて、身体の内側におこっている出来事に対する感度。あるいは、接触した瞬間に相手の身体の内側で起きている出来事に対する感度。ぼくはそれを「身体感受性」と言っているんですけれど、実際にサッカーで相手を見ないでパスしたり、野球で背走してキャッチしたりすることのできるプレイヤーがいますよね。あれは目がいいとか、足が速いというような計量可能な運動能力ではないです。身体感受性が鋭いんですよ。

大好きなSF作家、スタニスワフ・レム氏がポーランドの古都クラクフで亡くなった。
「惑星ソラリス」の作者として知られるレム氏だが、ボクにとっては、知性、観察力、諧謔精神の思想家としての存在のほうが大きいかもしれない。
ああ、また一人。尊敬する人が逝ってしまった。
「ここの海はちがう。あれは最高の存在だ。その発展の過程で、神になるチャンスを通りこしてしまって、早くから自己の殻のなかに閉じこもってしまった存在だ。ここの海は、たとえて言えば、仙人だ。宇宙の世捨人だよ。決して宇宙の神なんかじゃない・・・。」
スタニスワフ・レム「ソラリスの陽のもとに」
ライブドア問題のおかげで、市場について良い勉強ができる。
知らなくても良いことだが、なるほど市場とはこういう仕組みなのだと、よく理解できる。
簡素な生活とはまるで対極にある世界を、少しだけ勉強・・・。
経済とは社会ぜんたいのことであり、ごく簡単に言うと、カネ、モノ、ヒトの三つが、緊密にからみ合って関係している。いちばん大事なのはカネあるいはモノだという誤解が広まっているが、経済の動向にとってもっとも重要なのは、ヒトなのだ。そのヒトが、なにも考えられないから考えず、したがってなにもわからず、自分のありかたや生きかた、つまり自分が持ち得る価値を高めることに関して、興味も関心もないのだから、これはもはや景気がどう、株価がこうといった問題ではない。
片岡義男「自分と自分以外」
自分と自分以外
このところの、イチローの大記録へのカウントダウン騒ぎで、
ずいぶん前に買った「武蔵とイチロー」を積んだままにしていたのを思いだした。
本の山から(倒壊しないように)おそるおそる抜き出して読んでみた。
冒頭は高岡英夫氏ならではの身体論が展開され、かかとへの記述など示唆される部分も多い。
身体論が展開されるのは導入部のみで、
その多くは「センター(中心)のある生き方」に関してのものとなっている。
「イチローと武蔵」のタイトルについてはちょっとどうかなとは思うが、
あらゆる意味でリラックスとセンターが必要なことを教えてくれる。
BSでのマリナーズ戦の中継を見ながらエントリーを書いていたら、
今、タイ記録となるヒットをイチローが打った。イチローすごい。少し鳥肌。
中世史学者の網野善彦先生が亡くなったことを、Yahooニュースで知った。
私は「日本」は国家の名前であり、決して地名ではなく、七世紀後半にヤマトの支配者が決めたものだと思います。ですから、われわれの意志でこの国名を変えることもできると考えます。
ボクが本来なら「日本」と書くべきところを、あえて「日本列島」と書くようになったのは、
網野先生の多くの著作にふれたことがきっかけだった。
網野先生の著作の中には、「農本主義」と「重商主義」、「百姓は農民ではない」など、
今後ますます重要になるであろうキーワ−ドがいっぱいあった。
「いくつもの日本」を知ること、それは今とても大切なことなのだと、ボクは思っている。
ぼのぼの 24巻をやっと手に入れた。
読んだ。
深い、あまりにも深すぎて、哲学書として読むことさえできる。
今読むべき一冊が、間違いなくここにある。
「ぼのぼの」を読んでいて浮かんできたフラー博士の言葉を。
世界中のベッドと寝室は、一日の3分の2は空いている。
自動車も一日の6分の5は誰も乗っていないし、動いてもいない。
この無駄にはふたつの大きな理由がある。
ひとつは、われわれは何をやるにしても、最大の負荷を想定するからである。
ふたつめは、「所有すること」が正当であることを示すためだけに
使う物を「所有」しようとすることが多すぎ、またそのための物が溢れているからである。バックミンスター・フラー
やっと梅雨が明けたと思ったら、いきなりの真夏日が身体にこたえる。
日中の畑仕事は、実に過酷で、熱中症で命を落とす人がいることが妙にリアルに思えたりもする。ヒトはどこまで汗をかくことができるのか、そんなことを考えながら、なんとか決めた作業をこなしている。
夕方、畑から戻ってシャワーを浴びる。爽快。そして、ビール。これも爽快。生きていて良かった、なんてことを身体中で実感する。今日は、発売されたばかりの「ぼのぼの」23巻を読みながら、吹く風の涼しさに身をゆだねよう。
「ぼのぼの」23巻の帯にはこうある。「夏の午後に寝椅子と冷たい飲み物と23巻・・・。」
この気持ちよさは、逆立ちしたってエアコンには真似できないだろうな。爽快、爽快。