山の木々がきれいに紅葉している。
南房総に暮らして10年、今までにこんな鮮やかな紅葉を見たことがない。最低気温の関係から、温暖な南房総では普段は著しく紅葉することはない。同じ理由から、春の桜の開花もずいぶんと遅くなる。温暖であるということは、悪く言えばだらだらとして季節にメリハリがないということでもある。
普段見ることのできない美しい光景は大歓迎なのだが、その原因が今年の天候不順にあることを考えると複雑な気分になる。これで台風が上陸なんてことになったら、いよいよ考えなくてはいけないのかもしれない。

季節はずれの台風が、強い勢力でこちらを睨んでいる。
低気圧もあってしばらくはまた雨になりそうだ。今朝は、残っていたイモ類を堀りあげた。
ペルーなどアンデスの高地で栽培されてきたヤーコンに、菊のような小さな花が咲いていた。高機能食品、奇跡の健康食品などと騒がれているヤーコンも、その花はその姿に比べてなんとも小さく可愛らしい。
大きな力を秘めていることなど誰にも知られたくないかのように、ヤーコンの花はひっそりと咲いていた。
今日、私用で内房の街に出かけた。そこでなんとも奇妙なものを発見してしまった。(写真)
あまりにも自然に、風景にとけ込んでいたので最初はまったく気づかなかった・・・、なんと、ドームハウスの「養老乃瀧」が・・・。
バッキーのデザインサイエンスが意外に浸透していることを痛感した。
やっと収穫が一段落したと思ったら、ソラマメ、ファーベ(生食用のソラマメ)、大麦、ライ麦・・・・、今度は種まき、植え付けに忙しい。
一粒の種はいったい何倍の種になるのだろうか、ということを種まきの時にいつも思う。そのことを考えだすと、何百倍、何千倍と価値を増幅させる大地と自然の力に圧倒されてしまう。人間の身体も含めた意味での「自然」以外に、価値を増幅させることはできない。そのことをあらためて意識する。
収穫した米は新米→古米→古々米とその価値を減らしていく。ところが人間の発明した「お金」だけは、一年二年と逆に利息を殖やしていく。そのことが当たり前に思えるほどにボクたちの感覚は麻痺してしまっている。この地球上にある圧倒的な不公平が、そこに起因していることは間違いがない。
今日はそんなことを考えた。
このところの雨で畑仕事が思いっきりたまっていた。
今日の晴れ間を逃すと大変なことになる、そんなあせりもあって今日は畑仕事に精を出した。イモ類、エビスグサ(はぶ茶=決明子)、和綿・・・、収穫収穫、また収穫、思いっきり収穫して気分がすっきりした。
畑仕事は、天気がスケジュールを左右する。予定を立てていても簡単に狂わされてしまう。どうあがいても思い通りにはいかない。
敬愛するブライアン・イーノが、かつてインタビューで印象的なことを語っていた。
多くの植物をニューヨークにある自宅の屋上で育てている理由を尋ねられたイーノは、「植物を育てることは、この世界(自然)が決して自分の思い通りにはならないのだという大切なことを教えてくれる」といったようなことを答えていた。
そう、その通りだ。畑仕事という決して「自然」ではない行為をするにも、雨や風はけっして「不自然」には対応してくれない。
テレビシリーズ「北の国から」の中で清吉おじさんが言った言葉、「あきらめちゃうことになれちゃってるです・・・。」
ボクは最近、その言葉の真意が少しだけわかってきたような気が、している・・・。
amazon.co.jp→DVD「北の国から12」先日の上京時に買ってきた、MacOSX Pantherを一気にインストールした。
全体にきびきびした動きは多くの人の言うとおりで、マシンのスピードが上がったかのような錯覚さえある。純正のX11やExposeなど洗練された進化を感じさせてくれる。
一番驚いたのは、ことえりにアイヌ語モードが加わったことだ。
「日本は単一民族国家だ」なんてことを平気で言う大臣を持つこの国で、アイヌ語をひとつの言語として入力モードに加えたアップルの行為に拍手を送りたい。
(→pc watch 掲載の写真)
メニューバーに現れるアイウシ+モレウのアイヌ文様も実に可愛い。
久しぶりにアップルらしい仕事を見たような気がした。
11月1日、両国国技館でダライ・ラマ法王猊下の御講演を聴く機会に恵まれた。
テーマは「慈悲の力 Power of Compassion」、会場はいつものように暖かなヴァイブレーションで満たされ、「非暴力」ということがけっして夢ではなく実現可能なことなのだと思える場となっていた。
もし、チャンスがあったら、法王猊下の御講演に足を運んでみてほしい。
言葉や理論の体験ではなくフィジカルな体験として、なによりもスペシャルな体験になることだろう。
Link → ダライ・ラマ法王日本代表部